現代ビジネス 2017年02月22日

バブル期の野村證券で「一番稼いだ男」の告白
苛酷なノルマ、損失補填...全てを明かした


ノルマを達成できない社員には容赦なく鉄拳が飛び、ときには顧客に損をさせることがわかっていても、商品を買わせることがある
気づけば同期は一人また一人と姿を消し、残った者たちも次第に出社するのが嫌で仕方がなくなり、日曜の昼から酒を煽るようになる――。

これは、昨今話題のブラック企業の話ではない。70~80年代の証券会社の世界で当たり前に見られた光景だ。

パワハラという言葉などまだ影も形もなかった時代、証券の世界は戦場だった。
「失われた20年」に至る金融業界の内幕を、トップ証券マンが描いた『野村證券 第2事業法人部』が発売された。

金融・証券業界では「バブルの時代を総括する、とんでもない本が出るらしい…」と発売前から話題になっていたこの一冊。
著者の横尾宣政氏は、当時の証券界では知らないものはいないと言われたほどの人物だ。
1954年、兵庫県生まれ。1978年に京都大学経済学部を卒業し、「株にはまったく興味がなかった」にもかかわらず、父の勧めもあって野村證券に入社。
金沢支店を皮切りに第2事業法人部、営業業務部運用企画課長、高崎支店長、新宿野村ビル支店長などを歴任。

その稼ぎぶりから「バブル期の野村證券で、一番稼いだ男」「コミッション(手数料収入)の亡者」と呼ばれた証券マンだったが、1998年に野村證券を退社、コンサルティング会社「GCI」を設立した。
GCIではベンチャー企業の発掘や投資に携わっていたが、2011年に発覚したオリンパスの巨額粉飾決算事件における「指南役」として逮捕、起訴され、1・2審では有罪判決を受けた。
そんな横尾氏が、なぜ今、この本を著したのか。現在は最高裁に上告中という横尾氏に、執筆にかけた思いを聞いた。

(以下抜粋)

横尾氏が入社した当時の野村證券は、同業他社から「ノルマ証券」などと揶揄されるほど苛酷なノルマ至上主義を敷いていた。
各地の支店に配属された新入社員は、軍隊さながらの厳しい日々を送った。
「ノルマが達成できなければ、上司に殴られるのは当然で、私も何度か殴られました。怒り狂った支店の課長が部下に電話機を投げつけて壊してしまったこともあります。その時は、たまたま初めて野村と取引する電話工事会社の社長が株券を持って来店していて、『電話を粗末に扱う奴らとは付き合えん!』とひどく怒られましたね(笑)。」

ノルマを達成しなければ制裁されるとなれば、なりふり構わってはいられない。
売買に伴うコミッションを稼ぐため、横尾氏ら営業マンは顧客が持っている銘柄が少しでも値上がりすると売却させ、別の銘柄に乗り換えさせた。
顧客は儲けが出る前に次々と株を買い替えさせられるため、最終的には損をしてしまうこともあった。

「コミッションは株を売り買いしてもらわないと発生しませんから、長く同じ銘柄を持たれると困るんです。私の知る限り、わずか半年も経たないうちに信用取引(保証金を入れ、手持ち資金以上の投資を行うこと)で2~3億円なくなる、などというケースはざらにありました。損をするとわかっていながら株を勧めるときは、申し訳ない気持ちでした。特に、私たちのようなノルマに苦しむ新米社員に資金を出してくれるのは、いい人が多かった。そんな人たちが資産を失い、口座を引き揚げるときに、『お前は銀行マンみたいに信頼できると思っていたのに、やっぱりただの証券マンだったな』とすごく悲しそうな顔をするんです。20代前半の私にとっては辛い経験でした」

横尾氏は同時に、日本の株価が長期にわたり低迷している理由についても、独自の見解を示す。
「証券不祥事を受けて、野村では『特定の銘柄を推奨してはいけない。適合性の原則(顧客のレベルにあった勧誘をすること)を守れ』などと口うるさく言われるようになりました。

しかし私は、証券マンが銘柄を推奨しなくなったことが株価低迷の要因だと思っています。
投資に関する教育をほとんど受けない日本人は、営業マンに推奨されなければおいそれと株を買うことはできない。もちろん、伸びない会社を推薦してはいけませんが、これはという企業には積極的に投資するべきです。そういう健全な市場ができていれば、今ごろ日本の株価は4万~5万円台まで上がっていたと思います。
ただ、一方で証券マンの<質>が、平成に入るころから下がってきたのも事実です。どこが伸びる会社なのか、
お客さんは何を求めているのかが判断できない社員が増えてきたのです。

野村證券ネタ02

出典:
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51028

ネット取引してると、
手数料で損をするってのが理解できないこともありますね。
こういう記事読むと、時代を感じますなぁ(´・ω・`)

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